50歳の商社マンが選んだプログラム・オフィサーの道|POリレーインタビュー no.002

プログラム・オフィサー(PO)として活躍中のみなさんに、「POの仕事の魅力とは?」「POを通じての学びって?」「大事にしていることって?」など様々なお話を伺う「POリレーインタビュー」。第2回目の今回は、 NPO法人 全国こども食堂支援センター・むすびえ 渋谷雅人さんにお話を伺いました。

POリレーインタビュー!渋谷さんに聞きました

「こども食堂の支援を通じて、誰も取りこぼさない社会をつくる。」日本中のこども食堂をサポートするNPO法人 全国こども食堂支援センター・むすびえ(以下、むすびえ)は、2018年に設立された新しい団体です。在籍する2人目のプログラム・オフィサー(PO)として活躍するのが、商社を早期退職してむすびえに参画した渋谷雅人さん。渋谷さんがどのような活動をされているのか、企業からの転職が活きると確信する理由をお聞きします。

社会課題を実感した、こども食堂の別れ際

ー渋谷さんは2020年からむすびえに参画されたとお聞きしましたが、どのような経緯があったのでしょうか?

大学を卒業して、住友商事に27年間勤めていたのですが、50歳の時に早期退職を選びました。僕は子どもの頃からサッカーが好きで、「仕事でもチームプレーがしたい」「もっと仲間と一体感を持って、人の役に立っていることを実感できるような人生を送りたい」と願っていました。40歳から10年間悩んで、ようやく退職を決断。妻が若くしてがんで他界してしまって、死生観が変わったと言いますか、「人生の充足感をもっと味わいたい」と感じるようになったことも大きかったと思います。

こども食堂との出会いは、退職の2年ほど前、仙台勤務中に参加したボランティアでした。初対面の子どもたちと2時間ごはんを食べて遊んでお別れをする時に、4歳の女の子がとことこと僕のところに駆け寄って来たんです。僕を“しぶっち”と呼びながら、「ぎゅっとして」とハグを求めてきたんですね。その瞬間、子どもたちの感じている寂しさ、甘えたいけど言葉にできない状況など、色々なことに思いを巡らせました。それから、ハグを求められて拒否する大人はいないはずだとも確信しました。あの体験が、こども食堂の魅力や子どもたちを取り巻く社会課題に気がつく第一歩だったかもしれません。

ーはじまりは、こども食堂でのボランティアだったのですね。支援の形には様々ありますが、プログラム・オフィサーという仕事に就かれたのは何かきっかけがあったのですか?

そのこども食堂の運営者の方から、「商社にいたならファンドレイジングを学ぶといいよ」と声をかけていただいたことです。「それ何ですか?」と思いながら、日本ファンドレイジング協会の鵜尾 雅隆さんのメッセージを見て、すぐにファンドレイジングスクールの受講申込みボタンを押しました。「ファンドレイジングを通して、善意のお金の流れを生む社会のシステムに変えていきませんか」という趣旨のメッセージに、とても共感したからです。

スクールに通いはじめてから、ソーシャルな方たちとの出会いが増えて、その中の一つがむすびえでした。むすびえでPOを務める三島が、ちょうど、彼女に続くPOを探しているタイミングで声をかけてもらい、こども食堂を軸としたソーシャルチェンジをライフワークにしていきたいと思い、手を挙げました。

プログラム・オフィサーは現場から組織のあり方を考える

ーPOは国内ではまだあまり認知されていない職業ですが、休眠預金活用事業を通して、少しずつ人材募集も増えています。渋谷さんがPOをしていく上で一番大切にされているのは、どのようなことでしょうか?

資金を受け取って事業を行う実行団体と、資金分配団体であるむすびえメンバーの対話ですね。“お互いに何でも言える関係”を作っていくことです。
まずは我々自身がそういう組織でいるために、POとその補佐を含めて、毎週月曜日の朝に1時間の固定ミーティングをしています。実行団体とのミーティングは月1回。最初15分のチェックインで全員が同じ問いに答えることで、発言しやすくなる“場の安全性”を確保しながら対話を進めています。

秋にJANPIA主催で開催された2020年度採択 資金分配団体向けのPO2年目研修を受けたのですが、「普段現場にいないからこそ見える広い視野で捉えて、大きな座組みをしなさい」という話がありました。改めてハッとして、大切さを自覚しました。POは、実行団体が向き合う現場のことを、現場以上に知っている必要があると思っています。だからこそ、様々な現場に出向いて、現場の人が感じている臨場感を共有していくことが大事になります。その上で一歩引いて、どうすれば活動がうまくいくか広い視野で見ていく役割を担わなくてはと考えています。

ーむすびえは資金分配団体としてだけでなく、中間支援団体として数多くの事業を実施されています。団体としての棲み分けや、プロジェクトを進めていくためのヒントなどがあれば、ぜひお聞かせください。

内部ミーティングで休眠預金活用事業のPOである三島と渋谷が何をしているのか、どんなことがあって、どんな学びがあったかを、常に共有してアップデートすることを大事にしています。そのおかげで新たなPOの候補も育ってきています。POのマインドを持った人材を育成していくことは、むすびえで実施している休眠預金活用事業以外の事業においても中間支援力の向上に直結すると確信しています。むすびえの事業の幹を形成する上で、POは重要な役割になってきていることを感じます。

また、むすびえには、多様性を認めながら自立を大事にするというカルチャーがあります。「プロジェクトリーダー制」を敷いていて、17人がプロジェクトを起こして、資金調達も人材採用も自分でする。小会社の社長が17人いて50くらいのプロジェクトがあるようなイメージです。もちろん大前提にむすびえのビジョンへの共感があって、隣のプロジェクトも意識しながら、皆で組織を良くしていこうという姿勢でいる。組織のあり方としてチャレンジングですが、楽しいです。社会変化の中で、多くの方から僕たちに期待を寄せて頂いているので、もっとスピード感を持たなくてはという思いもありますが、自由があるのは「むすびえ」らしいですね。

企業からの転職の先にあった「心地良い世界」

ーむすびえのPOとなって1年が経った今、どのようなところにやりがいや魅力を感じていらっしゃいますか?

「想像以上に心地いい世界だな」というのが第一声です。企業時代の最終的な評価は、どうしてもいくら利益を出したかという話になります。だけど、仲間と喜びを分かち合えるのは、例えば「あのお客さん喜んでくれていたな」と共に感じた時。人から感謝されることがすべてじゃないかという思いでいました。こども食堂のようにソーシャルな世界では、僕がアウトカムとして求めていたものが、自分の価値提供でまっすぐに返ってくる。それは、想像を超えていました。

POとして活動していると、「あなたにお金を渡すから社会を変えてくれ」「託すよ」と言われている気がするんですね。お金を託していただいて、社会を変えるチャレンジの機会を与えてもらっている。その環境の中で事業や自分を成長させていくことに、とても喜びとやりがいを感じています。

ー今まさに転職を考えていたり、自分に合った仕事を探しているという方も多いと思います。企業での経験はプログラム・オフィサーやNPOでの仕事に活きるのでしょうか?

非常に活きていると思います。僕自身の経験で言いますと、入社直後から利害関係が不一致なところとパートナーシップを組みながら「合意形成」していく、という難題にさらされていました。例えば、納期が折り合わない時、どう調整してバランスを取るか。同じように、中間支援をしていこうと思った時に、「支援したいところ」と「必要といしてるところ」をどう組み合わせるのか、コンサルティングしたり、まとめていく過程には、企業で学んだことをそのまま活かせています。

他にも、実行団体と一緒に、地域資源を融合しながらどのようにアウトカムを達成していくかを考えるときや、むすびえ内部でのチームワークでも活きています。人脈もありますね。企業時代に付き合いのあった人がボランティアに参加してくれたり、取引先が支援してくれる例もあります。

例えば、企業では、どれだけのリターンがあるか考えながら投資案件を選定していきます。そこで問われているのは「社会変化」ではなく「儲け」ですが、使う思考回路はNPOも一緒で、「お金の調達手段」と「受益者からお金が来ない」という2点が違うだけで、どうすれば事業価値が上がるかという思考は同じです。企業時代に思考した経験値をそのまま持ってきて、POとして活躍できる。営利と非営利の間にあるギャップを“通訳”さえすれば、知見・経験が活きるのではないかと思います。POという役割があることで社会的意義を感じながら活動できるので、自分の居場所をすごく整理しやすいです。

ーむすびえさんには、企業勤務を経験された方も多いのでしょうか?

企業兼務者とか企業出身者が多いです。元企業人だからこそ、ソーシャルな世界で貢献できること、企業に働きかけられることはないか、もっと考えていきたいと思っています。

転職を検討している人に向けてよく伝えるのが、「非営利か営利かという選択ではなく、人生を豊かにするための選択肢としてNPOで働くのもいいよね」という話です。転職のハードルを低くするにはNPOの収入が上がっていく仕組みも必要ですが、「あなたの経験がPOに合うよ」という人が実はたくさんいます。その方たちにPOという仕事を知っていただくためにも、僕たちの経験を噛み砕いてもっと発信していきたいと、最近とても思います。

ー中間支援の向上につながるとおっしゃった通り、プログラム・オフィサーは休眠預金活用に関わらず、社会課題を解決していくために必要な職業だと感じます。

最初は、ほかの仕事と並行しながら月20時間のつもりで活動をはじめましたが、のめりこんでいくと「こういうことが実現できるんだ」「むすびえでこれをやっていけば社会変えられるよね」という面白みや、同じゴールを持った仲間がいることが心地よくなって今や120時間の勤務になりました。むすびえがチャレンジしているソーシャルチェンジに「みんながもっと助け合う社会が作れたらいい」というのがあります。その原型がこども食堂にはあると思っていて、そこに携われることが喜びです。

今回の助成では特に「公益的な事業で、新型コロナウイルス感染症拡大に伴う影響を受け事業の推進に当たり支援を必要としている団体やポストコロナを見据えた新たなチャレンジ」に対して助成しました。
休眠預金事業でチャレンジしているTANOMOSHIをはじめ、社会インパクトを生み出す事業として、株式会社御祓川が取り組んでいる事業を紹介しています。

休眠預金活用事業の成果物として資金分配団体や実行団体で作成された報告書等をご紹介する「成果物レポート」。今回は、資金分配団体『中国5県休眠預金等活用コンソーシアム〈2020年度緊急支援枠〉』が作成した冊子『2021年度中国5県休眠預金等活用事業「緊急コロナ枠」報告書』をご紹介します。

2021年度中国5県休眠預金等活用事業「緊急コロナ枠」報告書

新型コロナウイルス感染拡大は、経済・社会にこれまでにない変化をもたらしています。生活上の困難を抱える人々や、行政が対応困難な社会課題が増えている一方で、課題解決に取り組む団体は、対面サービスやボランティアの確保、財源確保が困難になるほどの課題に直面しています。この報告書では、資金分配団体としての活動や取り組み、公募で募った活動団体(以下「実行団体」)の社会課題解決に向けた活動・取り組みをまとめています。ぜひご覧ください。




【事業基礎情報】

資金分配団中国5県休眠預金等活用コンソーシアム

※幹事団体
 ・特定非営利活動法人 ひろしまNPOセンター
※コンソーシアム構成団体
 ・公益財団法人 とっとり県民活動活性化センター
 ・公益財団法人 ふるさと島根定住財団
 ・特定非営利活動法人 岡山NPOセンター
 ・特定非営利活動法人 やまぐち県民ネット21
事業名中国5県新型コロナ対応緊急支援助成
〈2020年度緊急支援枠〉
活動対象地域中国地方の5県
(鳥取県、島根県、岡山県、広島県、山口県)
実行団体<子ども・若者・家庭支援&地域コミュニティ支援>
【鳥取】N.K.Cナーシングコアコーポレーション合同会社
【鳥取】NPO法人こども未来ネットワーク
【鳥取】NPO法人智頭の森こそだち舎
【鳥取】NPO法人トラベルフレンズ・とっとり
【山口】NPO法人山口せわやきネットワーク

障がい者等就労・居場所支援
【鳥取】NPO法人大地
【島根】NPO法人あったかいいねっと
【島根】NPO法人YCスタジオ
【岡山】NPO法人ペアレント・サポートすてっぷ
【岡山】NPO法人まこと
【岡山】NPO法人未来へ
【山口】NPO法人NOBORDER 

<住居・居場所の確保支援>
【岡山】NPO法人オカヤマビューティサミット
【岡山】NPO法人オリーブの家
【岡山】社会福祉法人クムレ
【岡山】一般社団法人子どもソーシャルワークセンターつばさ

<外国人就労・居場所支援>
【岡山】NPO法人メンターネット
【広島】NPO法人安芸高田市国際交流協会
【広島】一般社団法人グローカル人材ネットワーク
【広島】株式会社グローバルキャリア研究所
【山口】青年海外協力隊山口県OB会 

<必要とされている方への食支援>
【広島】NPO法人環境保全創生委員会
【広島】社会福祉法人正仁会(あいあいねっと)
【広島】NPO法人フードバンク福山
【山口】NPO法人市民活動さぽーとねっと
【山口】NPO法人とりで

ジャパン・プラットフォーム(JPF)は、日本国際交流センター(JCIE)との共催で、2月28日(月)に公開シンポジウム「コロナ禍での支援現場の声を聞くー 危機で試される在留外国人支援」を開催いたしました。
2021年11月 横浜市金沢八景に「横浜こどもホスピス~うみとそらのおうち」が誕生しました。多くの人たちの想いが重なった誕生までの道のりをご紹介します。

プログラム・オフィサー(PO)として活躍中のみなさんに、「POの仕事の魅力とは?」「POを通じての学びって?」「大事にしていることって?」など様々なお話を伺う「POリレーインタビュー」。初回となる今回は、JANPIA理事であり、長年、笹川平和財団でPOとして活躍してこられた茶野順子さんをゲストとしてお招きしてお話を伺いました。

「POリレーインタビュー」企画って?

休眠預金活用制度の特徴の一つとして、資金分配団体が資金的な支援だけでなく、実行団体の運営や活動をサポートする「非資金的支援」(伴走支援)があり、その中心的役割を担うのがプログラム・オフィサー(PO)です。「POリレーインタビュー」の企画は、「POの仕事って?」と思われる皆さんに、その仕事のやりがいなどを実際にPOとして活躍している皆さんのインタビューを通じて知っていただきたいという思いから始まりました。

初回は、JANPIA理事であり、長年、笹川平和財団でPOとして活躍してこられた茶野順子さんをゲストとしてお招きしました。茶野さんは現在、笹川平和財団の常務理事であり、フォード財団やアメリカのコミュニティ財団でのPOのご経験もあります。今回は、米国での経験についてやPOの育成、事業の運営等について、お話をお伺いしました。

「POリレーインタビュー!茶野さんに聞きました」

アメリカと日本の「非営利組織を取り巻く環境」の違い

─ 茶野さんは、アメリカの財団で働かれた経験があると伺いました。アメリカと日本では非営利組織を取り巻く環境は違うのでしょうか?

私は、アメリカではフォード財団に7年ほど在籍していました。その前には、アメリカの大学院にいたときに、コミュニティ財団であるフィラデルフィア財団で4ヶ月ほど仕事をしていました。

アメリカの財団についてよくご質問を受けるのですが、まず基本的なところをご理解していただいた上で話をした方がわかりやすいので、アメリカの財団の成り立ちについてお話しします。

アメリカ建国時代、まだ政府の役割が確立しない中で、生活面での様々な問題に対し市民がボランタリーに組織(アソシエーション)を立ち上げその解決にあたっていました。

1800年代にトクヴィルという政治思想家が「アメリカの民主政治」という本を書いているのですが、その中でも「アメリカ人は常にアソシエーションを作り、そこで色々な課題を解決している」という記述がありました。なので非営利組織、ボランティア団体に対しては基本的に国民的な信頼があるという点がアメリカと日本との違いの一つです。

─ 非営利組織を取り巻く環境が日本とは異なるのですね。そういった中で財団が誕生していったということでしょうか。

アメリカの最初の財団は1900年代初めに設立されました。南北戦争が終わって北部の工業化が盛んになった時に、資本家が莫大な資産を蓄えた時代背景の中、社会の色々なニーズに応えるために財団がつくられていきました。

まずスコットランドからの移民として苦労しながら資産家になったアンドリュー・カーネギーは、引退後に自著の「富の福音」の中で、「自分たちが資産を蓄えることができたのはコミュニティの人たちが自分たちの商品を買ってくれたからだ」と言っています。自分の得た富を子孫に残すのではなく、コミュニティに還元すべきだと述べていました。

一方ロックフェラーは、一時はイリノイ州の税収よりもロックフェラーの年収の方が多かったと言われています。すると彼のところに「こういうことがやりたいのでお金が欲しい」という寄付の話が押し寄せてくる。そこで彼は「自分はお金を配ることは本業ではない」とし、有識者と相談した結果、専門家が良い事業を見極めそれに対して資金をつけるという、現在の財団のシステムの元をつくりました。ロックフェラー財団は1913年に設立されました。

カーネギーやロックフェラーの財団は、資産家がみずからの資産を提供して財団ができたのに対して、コミュニティ財団はコミュニティの人たち自身がお金を出しあって基金を造成し、将来のお金の用途もコミュニティの人たち自身で決めていくことを基本とする財団です。ロックフェラー財団に1年遅れて設立されたクリーブランド財団が最初のコミュニティ財団と言われています。今は全米で約900ほどあります。

ちなみに、参考情報として、個人寄付、あるいは企業の寄付、そして財団からの助成金というのは非営利組織の資金源の中ではそれほど大きくなく、全体の12.9%くらいというのが最新のデータです。それ以外は非営利組織が提供するサービスに対して政府や民間が支払う対価が、その収入源の70%を占めています。

アメリカの財団における「PO育成」

─ アメリカの財団ではPOはどのように育成されているのでしょうか。

アメリカの財団には多様性があり、個人や家族が作った比較的小さい財団から、フォードやビル・ゲイツが作った大規模な財団など、規模や成り立ちも様々です。それぞれの財団が違うコンセプトで運営をしているので、一般論としてPOの育成について話すのは難しいところです。
ただPOを意識して育てている組織は、フォード財団やロックフェラー財団等の資産規模が大きい財団だと思います。

例えばロックフェラー財団だと、POに対して特に契約年度を設けず、ドクターを持っている学識経験者が財団のPOになっていると言われていました。
一方で私が在籍していた当時のフォード財団では、POの契約期間が3年間で、1度だけ延長ができ、最大6年間がPOとして活動できる期間でした。新人のための育成プログラムというものがありましたが、前提としてPOは、「その分野での実務経験」と「アカデミックな経験」がそれぞれ10年程度あると良いと言われていました。なお、最近の採用条件は、修士号と8年間の実務経験とありました。

ただ新人POはどんなに特定の分野での経験や知識があっても、POとして、事業の良しあしを見極める経験や成功例をどうやって拡大していくか、あるいは関係者とうまくコミュニケーションを取っていく経験などはないと考えられるので、ある程度の研修プログラムが必要になります。それから財団によって組織文化やミッション、歴史も違うので、その財団について知っておくことが重要になります。私がフォード財団にいた頃は、2週間の研修プログラムがあり、「フォード財団について知ること」に1週間を使い、もう1週間で「POとはどういうもので、どんな仕事をすると効果的な助成ができるか」を学びました。

もう一つ特徴的だったのは、当時はOffice of Organizational Services という組織がありました。この組織は、フォード財団としてどのように助成事業を効果的に実施することができるかを分析し、提言することを主な役割としていました。そこでは特に成功例と言われる事業でのPOの役割を分析し、効果的な仕事の仕方を皆さんに伝えていくことを大きな柱としていました。

─ それは興味深いですね。どんなことが伝えられていたのでしょうか。

POは、「Initiative」「General grant」「Opportunity grant」の3種類の助成事業に携わるのがいいと言われていました。
「Initiative」は規模の大きい、多くの場合いくつかの助成事業が複合的、かつ同時並行的に進行していく事業で、選択と集中によって、成果を増大させ、規模を拡大していきましょうというものです。これは、JANPIA のPOが資金分配団体を通じて社会課題を解決しようとする姿勢とも通ずるところがあるかと思います。一人のPOは2つから3つの大きな事業を担当することが推奨されていました。
「General grant」は、資金の使途を特定せず、関連分野全体としての活動に対する助成事業です。例えば教育分野や保健分野で仕事をすると、その分野の全国的な組織があったり、いろいろな調査団体があったりと、仕事をする上でお付き合いが必要な団体があります。そういう団体にある程度の資金を提供することで全体的な動きなどを把握することができるとともに、業界全体の底上げを図ります。
「Opportunity Grant」は、「Initiative」のような大きな規模な助成金だと見逃してしまいがちな新しい試みやユニークな取り組み等に対して試験的に少額の助成金を出し、どう花開くかを見据えることになります。

先ほども触れましたが、JANPIAの資金配分団体のPOの方は、色々な分野の中で「こういうニーズがあって、こういうことにお金を配れば社会に貢献できる」ということを考えて仕事をしていると思うんですね。そういう意味では、フォード財団が言っていた「Initiative」と、似ていると思いました。

フォード財団「Initiative」助成事業の事例

─ 「Initiative」の助成事業の事例を教えてください。

私の印象に残っている事業の一つに、 「Project GRAD」という教育分野での事業があります。通常は、助成財団が「教育分野にお金を出します」と言った時、教育分野で活動をしている様々な団体から申請が来ます。それら一つ一つに丁寧に対応することもその分野の底上げとしては重要ですが、最終的にそれが何になったかと考えると、あまり自信がもてないPOも多いのも事実です。選択と集中が必要と言われる所以です。そこで都市部の貧困層への支援の中でも、良い成果を上げ続けているテキサス州ヒューストンのNPOの活動に着目し、それを全米規模で拡大し、最終的には教育制度を変えていこうということで始まったものです。

「Project GRAD」(Graduation Really Achieves Dreams)は、卒業することであなたたちの夢は叶う、という意味です。というのも、都心部の貧困層では、高校卒業できずにドロップアウトしてしまい、よい職に就けず貧困が積み重なるという悪循環がありました。ある時、その課題解決の為にヒューストンでつくられたシステムが成功しているという情報をフォード財団のPOが知り、そのPOがそのシステムを検証した上で、それをそのほかの都市部の貧困層に広げようとしました。

このPOは、ヒューストンでの成功例についての内容を確認した後、これをInitiativeとして全国に広めることについて、上司とヒューストンの人たちの合意を得ます。その双方の合意を得た後、「こんなプロジェクトが成功しているので、あなたの地域でもやりませんか」と呼びかけ、そのための助成金を出すと伝えたわけです。と同時に、どこが外せない成功要素で、どこが地域特異性のある要素なのかを洗い出すこともPOの重要な役割です。そして、その成功の要素を他の地域にも伝えて、他の地域の事業の立ち上げ支援を行います。その後は、半年に1回の定期的なミーティングで質問を受けるなどし、「こういうやり方をすると成果の増大と規模の拡大を目指せる」ということをアドバイスするなどします。

茶野さんが考えるPOの役割

─ 茶野さんが考えるPOの役割とは、どのようなものでしょうか。

POの役割の一つは、今の課題がどこにあり、どんな人たちがその分野にいて何をしているかを見出すということだと言えます。色々な提案がある中でどの提案が有望かを見極める目を持つこと。それからざっくばらんな関係をつくり、コミュニケーションの目的を明らかにしながら、課題解決のパートナーとなることもPOの重要な役割です。

そこで重要になるのは「無理強いはしない」ということ。なぜかというとやはり資金を持っている側は、力関係として強くなってしまいがちだからです。そしてどう資金提供するかについても工夫する必要がありますし、先ほどのProject GRAD の例でもあったように、成功例を見出し、それを分析してパターン化をして普及をさせていくこと。これらがPOが社会貢献できる役割の中で一番重要ではないでしょうか。

【次回予告】

次回は、「渋谷雅人さん」(NPO法人 全国こども食堂支援センター・むすびえ プロジェクトリーダー)にお話を伺います。ご期待ください!

自伐型林業による担い手育成を行う目的でスタートした助成事業「失業者を救う自伐型林業参入支援事業~アフターコロナの持続・自立した生業の創出~」の活動が終了し、その助成5団体の事業成果を社会に共有する場を設けることとなりました。
Kotori Project (コトリプロジェクト)のボランティアメンバー、カティ・レンさんが、ペーパークラフト(ペーパーアート)のテクニックを使って、「トリのようふく」作りにチャレンジしてくれました。

若者が安心して過ごすことができて、夢や悩みを共有できる場所と機会を提供したい。そんな思いで20年11月に開設されたのは、長野県岡谷市にある「子ども・若者STEPハウス みんなの古民家」(以下「みんなの古民家」)です。立ち上げたのは、20年度緊急支援枠〈資金分配団体:公益財団法人長野県みらい基金〉の実行団体NPO法人子どもサポートチームすわ。同法人の理事長 小池みはるさんは、不登校の子どもたちを支援するフリースクールの活動を20年以上続けています。フリースクールを卒業した後に引きこもりに戻っていく子どもたちの現状を知り、「次の居場所が必要だ」と考えて、みんなの古民家を開設しました。みんなの古民家を続ける思いなどについてお聞きしました。

フリースクールを卒業した後の居場所づくり

みんなの古民家を運営するNPO法人子どもサポートチームすわは、岡谷市の隣にある諏訪市で、1997年からフリースクールを運営してきました。

諏訪市にあるフリースクールの一室。学校へ行っていない小・中学生と高校生が通っている。
諏訪市にあるフリースクールの一室。学校へ行っていない小・中学生と高校生が通っている。

20年以上にわたり、不登校の子どもたちが自分のペースで学べるよう支援を続けるなかで、巣立っていく子どもたちの“その後”に課題を感じていたと理事長の小池みはるさんは言います。

小池みはるさん
小池みはるさん

「フリースクールを卒業した後に家で引きこもりになったり、就職しても続かなかったりする子どもたちをたくさん見てきました。フリースクールに通っている期間は私たちがサポートできますが、本当に『引きこもり』になってしまうのは、その後なんですよね」

みんなの古民家やフリースクールには、絵が好きな子どもたちが多いそう。
みんなの古民家やフリースクールには、絵が好きな子どもたちが多いそう。

フリースクールを卒業した後も、子どもたちが安心して過ごせる居場所をつくりたい。その必要性を強く感じた小池さんは、新たな拠点の立ち上げを検討。場所を探していた小池さんに、ある出会いが訪れます。

「私が拠点をつくろうとしている話を聞いた方から、『古民家使う?』と電話をいただいたんです。とはいえ岡谷と諏訪は離れているし、連絡をいただいた当初は消極的でした。でも試しに子どもたちと一緒に見に来たら、一目で気に入ったんです。それが、この物件でした」

子どもから大人まで、誰もが集える「居場所」

みんなの古民家の入口
みんなの古民家の入口

「みんなの古民家」があるのは、岡谷駅から車で10分ほどの住宅地。敷地内には、築150年ほどの母屋、蔵と納戸があります。

2020年8月、次なる居場所をこの古民家に決めた小池さんは、活動の資金源として休眠預金の活用を申請し、古民家の改装を進めました。そして現在は、不登校の子どもたちや引きこもりの若者たちが安心して過ごせる居場所として、週に4日間開放。現在、定期的に通って来るのは小学生が2人。他にも中学生や高校生が訪れます。

場所を構えてみて、さまざまな事情を抱えた子どもや大人がいることを実感したと言います。

「例えば、専門学校を卒業した後に引きこもりになった27歳の男性が、ここに来るようになりました。彼は調理師の免許を持っていて、今ではここのスタッフとして週2回食事をつくってくれています。なぜみんなの古民家に通うようになったのかを聞いてみると、『人と普通に話せるのが良かった』と言うんです。他にも、『友だちが欲しかったから来た』と答える子がとても多くいます。

場を開くまでは、居場所をつくるだけでなくもっと具体的な支援を検討していたので、場を開いてみて初めて、彼らが一番求めていたことに気づかされました」

母屋の屋根裏は子どもたちがかくれんぼをする遊び場に。お泊まり会も企画中。
母屋の屋根裏は子どもたちがかくれんぼをする遊び場に。お泊まり会も企画中。

みんなの古民家では、子どもたちに向けたイベントや勉強会だけでなく、保護者向けの座談会も定期的に開催し、包括的なサポートの場になっています。

ある時は、引きこもって10年が経つ40歳の子どもがいる親御さんから、小池さんのもとに相談の電話がかかってきました。

「親御さんと私たちがつながっていれば相談を受けられますが、子どもが30代や40代にもなってくるとご家族が疲れてしまって、途中で連絡がなくなることも少なくありません。だからこそ『みんなの古民家』は、同じ経験をしている親御さんどうしが気持ちを分かち合える場所にしていきたいですし、年齢や事情に関わらず誰でも居場所にしてもらえたらと思います」

助けられる存在から、助ける存在へ

みんなの古民家を立ち上げてから、2023年で3周年。子どもたちが集まり、会話が生まれるなかで、助け合いの場面がたくさん見られています。

「みんなの古民家には個室がなくて、隠し事ができない空間です。誰かがポツリと悩みを話すと、『僕もそうだったよ』『焦らないでいいよ』と子どもたちが思いつくまま話している光景をよく目にします。引きこもっていた経験を誰かに話すことで、誰かの役に立てる。子どもたちは決して『支援を受けるだけ』の存在ではないことを実感しています」

さらに、かつて支援を受けていた子どもたちが、みんなの古民家で誰かをサポートする仕事に就くケースも生まれています。

「フリースクールを卒業して、今は古民家のスタッフとして働いてくれている人もいます。彼らの残りたい気持ちと、他に就職できるところがなかった現実の結果ですが、だんだんと循環が生まれてきました。

現在は、みんなの古民家の運営はほとんどスタッフに任せていて、私はなるべく入らないようにしています。スタッフの間で『ここに来る人に大切なのは、友だち・お腹を満たすこと・お金の使い方を学ぶことの3つ』といった話をしているようですね。毎月のイベント企画も、スタッフが考えています」

コロナ禍で直接人と話す時間が減るなか、古民家で食卓を囲む楽しいひととき。
コロナ禍で直接人と話す時間が減るなか、古民家で食卓を囲む楽しいひととき。

立ち上げ前から地域の方を中心にさまざまな方がサポートに加わってくれたそうで、場を開いた後もその関わりは続いています。

「地域と関わるなかで、区長さんが『引きこもっている子どもたちが地区に何人もいるのはわかってはいるけど、家庭のことだから、これまで口を出せなくて……』とおっしゃっていたのが印象に残っています」

みんなの古民家ができたことで地域に生まれた、新たなつながり。今では近隣の住民から、引っ越しや草むしりの手伝い、高齢者の買い物支援など、単発の仕事が入ることもあるそう。みんなの古民家から、地域のつながりが広がっています。

みんなの古民家の庭で餅つき。生活クラブのみなさんから教えてもらい、子どもたちも挑戦。
みんなの古民家の庭で餅つき。生活クラブのみなさんから教えてもらい、子どもたちも挑戦。

小池さんは、みんなの古民家に通う人たちが、もっと自分で稼ぐことのできる事業をつくりたいと考えています。

「例えば農園に行っても、収穫して売るだけの“いいとこどり”だけでなく、事業の一通りを自分たちの手でできるようにすることで、責任と社会性を持つ経験を提供したいと思っています」

近々、生活クラブとの協働でパン屋を始める計画があるそう。さらに、敷地内の蔵を使って何か新しいことができるように、小池さんの私費を使って改装しました。

「この古民家は、あくまでも走り出すための場所です。ここで準備をして社会へと走り出せるように、市の支援を活用したり自分で探せるようにサポートしたりと、自立のために背中を押していきたいです」

みんなの古民家新聞。スタッフでアイデアを出し合って作成している。(こちらの画像、STEPハウスのウェブサイトからお借りしています)
みんなの古民家新聞。スタッフでアイデアを出し合って作成している。(こちらの画像、STEPハウスのウェブサイトからお借りしています)

支援を継続するための3年目の課題

一方で、みんなの古民家3年目に向かって、運営の課題も見えてきました。

大きな悩みは資金面。休眠預金の事業年度が終了し、その他の助成金活用をはじめ、資金確保の方法を模索しています。

「どんな法人格にするのがいいのか、お金をどうしていくか、毎日悩んでいます。いただいた助成金や寄付を使っていくだけではなく、資金を増やしていく仕組みを考えなくてはいけないですね」

もう一つ、早急に必要なのは、引きこもっている子どもや若者たちに直接アクセスする広報活動です。現在はスタッフや子どもたちがSNSで発信しながら、公民館活動が盛んな岡谷の土地柄を活かしてチラシを置いてもらうなどの連携を進めています。

「これまではチラシやウェブサイトで広報してきましたが、それらにアクセスするのはほとんどが親御さんです。引きこもっている当事者と親御さんとの関係性が良好でない場合も多いですから、親御さんだけでなく『みんなの古民家』を求めている当事者に情報を伝えられるように、方法や手段を変えていかなくてはと考えています」

みんなの家のモットーは、「明るく、楽しく、ゆっくり進もう」。
みんなの家のモットーは、「明るく、楽しく、ゆっくり進もう」。

小池さんと子どもたちは、資金の目処がつけば、みんなの古民家で「文化祭」がしたいと話しているそうです。「引きこもりの人もそうでない人も、障がいのある人もない人も、誰でも来てほしい」と小池さんは話します。

「今の社会では、誰が引きこもりになってもおかしくありません。ですから誰もが引きこもりへの理解を深められる機会をつくったり、引きこもっている子どもたちのエネルギーをいかに引き出せるかを考えたりしていきたいですね。

生きるという点ではみんな同じ。場があれば助けることができるし、私たちや皆さんが助けられることもあるでしょうから、これからもみんなの古民家を続けていきたいです」

取材後、子ども・若者STEPハウスは、 NPO法人子どもサポートチームすわから独立。また、現在、公益財団法人長野県みらい基金が運営するサイトで、クラウドファンディングを実施中です。

【事業基礎情報】

実行団体
特定非営利活動法人子どもサポートチームすわ
事業名

コロナ禍の発達特性のある子ども・若者支援

活動対象地域
長野県諏訪市、岡谷市周辺地域
資金分配団体
長野県みらい基金

採択助成事業

2020年度コロナ枠